星野仙一さん、逝去。
- 2018年01月8日
こんにちは、にしまつ歯科クリニックの西松です。
新年5日から診療が始まり、お正月気分もどこかに吹き飛んでしまう感じでした。
久々にまとまった雨が降ったりで、それでなくとも寒いなか、さらに冷え込みましたね。
中日や阪神、楽天で監督をされた、星野仙一さんが亡くなりました。
以前にも、このブログで書かせてもらいましたが、90年代の低迷していたタイガースを闘う集団に変貌させたのは、星野監督と、現役時代・現在の金本監督の2人であることは、間違いないです。
金本監督が広島選手時代にFA資格を取得した際、阪神のぬるま湯体質を一変させるための必要不可欠な存在として、繰り返し説得して、タイガース入りさせたことは、有名です。
「お前は阪神に来て、オレといっしょに野球をする運命なんや」、「野球界全体のことを考えろ」。
ほとんど脅迫で、星野さんだからこそ、なせる業です。
チーム全体としても、弱い戦力だから弱いわけで、大量の選手に戦力外通告をし、「血の入れ替え」を施し、球団から巨額のお金を引き出させ、大型補強を図りました。
中日監督時代にも発揮された、星野さんの大ナタを振るう、過激な手腕は、当時から批判もありましたが、「弱者を強者にする」、プロであれば、当然のことだと思います。
けれど、クビにした選手の次の移籍先、あるいは野球以外での就職の世話など、しっかりケアをされていました。
「自分の行ったことに、責任を持つ、結果を出す」。
ボクのような中途半端な者が表現するのもおこがましいですが、ここまでやり切れる、周りを納得させる力量を持ち合わせた、敬意を通り越したような、オーラがありました。
代表監督として乗り込んだ北京五輪では、メダルを逃し、手のひらを返したように、バッシングを受けた後、数年を経て、楽天監督として、表舞台に戻りました。
「東北を勇気づけるのが、自分たちに課せられた仕事」と指揮をとり、就任3年で、田中将大投手のシーズン24勝0敗という驚異的な活躍も後押しし、巨人を倒して、日本一に。
学生時代に事前に獲得を約束されながら、「肘を壊している」状態と判断されて、ドラフトで指名されなかった、ジャイアンツに対しての、星野さんの「燃えたぎる闘争心」が、見事に大願成就した瞬間でした。
膵臓がんに侵されても、細心の注意を払って、外部に病状が漏れないよう、自らの野球殿堂を祝う会を催すなど、最後まで、強気と気配りと優しさを、全うされたのだと思います。
ご冥福をお祈りします、夢をありがとうございました!